21世紀の音楽の方向性(1)

20世紀の音楽は、それまでの音楽の楽しみ方、評価、すべての面で、それまでの数世紀の音楽の基準を完全に変えてしまったと思います。まづ第一に18世紀以来成長してきた機能和声をよりどころにした音楽が終焉を迎えてしまったこと。音楽の演奏についてはレコード、CD等の登場で最高レベルの演奏が簡単に聞けてしまうという、それまでは想像もできなかった変化が起きました。


また、スピーカなどの音量増幅技術により、滅びて行ったヴィオールやチェンバロなどが復活しました。それにつれて古楽器の再現も行われ、ついにはベートーヴェンなど古典派の音楽までも、ピリオド楽器で復元することも、珍しいことではなくなりました。聞き手については、演奏会に足を運ぶ必要はほとんどなくなり、自宅でよい音楽が楽しめるようになりました。
演奏家についても、アジア勢が台頭してきたのも20世紀の特徴かもしれません。ほかに著作権の確立。楽譜の普及。

私のように、このような状況を多少嘆かわしいと思うものがいたとしても、もちろんもとに戻すことなどできません。
ならば、このような混沌としているともいえそうな時代が、21世紀中を通じて継続するかというと、たぶんそうはならないのではないかと思います。

一番興味があるのは、音楽の評価がどのようになるのかということです。モーツァルトのピアノ協奏曲にしても、当時のピッチ、当時の楽器での演奏とモダンな楽器でやることの優劣は、時代の基準としてあるべきだと思います。

当時の楽器とスタイルでという方々も、それではパガニーニの協奏曲は、現代の弓ではなくバロック弓に近い形をした弓で弾くべきなのですかと問われると、ちょっとたじろぎますね。ヴィブラートをあまり使わない古楽的なグループの方に、20世紀前半の弦楽曲はポルタメントを多用していましたから、正しい演奏習慣が重要とおっしゃるなら、そのようにすべきではないかと問うと、ちょっと趣味に合わないからと弾いてしまうかもしれません。

きっとあと数十年もすれば、何かが起こって、20世紀とは違った方向性が出てくるのかもしれません。

 

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